僕たちがどんな会話をしているのかを、LINEは知っている。
2016年7月から12月にかけて、LINEは1,268回線の情報を捜査機関に開示した。
それに僕はとても強い衝撃を受けた。
Maker of Line app says it has disclosed user information for criminal probes | The Japan Times
僕たちがどんな会話をしているのかを、LINEは知っている。
日本国内だけで6800万人以上の人々の、プライベートで繊細な面をLINEは知っているんだ。
僕たちは本当に気をつけなくてはいけない。
一企業にこんなに大切な情報を任せていいわけがないんだ。
暗号化は僕たちを守ってくれる。
ただし、第三者が復号できないことが必要だ。
暗号プロセスがオープンで安全性の検証されているチャットアプリを使おう。
Signalを使おう。
https://signal.org
監視と平和
監視と平和はトレードオフか
政府が「テロ対策だ」と言えば、監視の必要性が示されたことになっている。 実際に監視されるのはテロリストたちだけではないが、「公共の福祉のために甘んじて受け入れよ」ということになっている。
平和のために監視は必要なんだろうか。 問題があれば対話により解決するべきだと僕は思う。
彼らがテロを起こすのは監視されているのがわかりきっているからだ。 反体制派からデモや政治活動といった選択肢を取り上げた権力者たちは気づくべきだ。 彼らにはテロしかないのだ。
民主主義とはあらゆる人の意見に耳を貸し、妥協点を探ることだ。 権力層が少数派を徹底的に監視している社会は、民主主義でも平和でもない。
監視では平和はつくれない。 世界中どこにでも目がある社会が平和だと思うだろうか?
権力層が監視を放棄することで初めて平和への道が開かれるのだ。
個人主義
合同説明会にて
僕たちは家や地域の束縛から解き放たれて自由に生き方を選べるようになった。 今ではその自由を最大限に使うのが良いとされている。
僕の周りでは就職活動が始まりつつある。 僕も2回合同説明会に行ってきた。
給料と知名度でフィルターをかけている自分がいた。 僕は自由を社会的ステータスを得るために使おうとしていた。
僕の考え方
僕は資本主義は限界なんだと思う。 もうこれ以上便利にならなくたっていいんだ。
80;20の法則というのがあって、やることの内80%は20%の労力でできる。 しかし最後の20%を詰めるのには80%もの労力を必要とする、という法則だ。
テレビができて、エアコンができて、インターネットができて…もう80%に到達していると思う。 先進国の人間はこれ以上無理して科学・技術を進歩させる必要はないんじゃないか。
もうインターネットが使えるようになった時のような感動は、技術によってはもたらされないだろう。 しかしそれでよいのであって、不毛のフロンティアを無理して開拓する必要などないのだ。
個人主義
僕は合同説明会のときの自分を恥じている。
いま、僕には本当に大事だと思ったことをやる決意がある。 それは個人的に面白いと思ったことをやるというのではない。
一人の人間として社会を良くするために力を注ぎたい。 そのために今まで受けてきた教育を生かすのもいい。
「なんで勉強するの?」「勉強すればお仕事の選択肢が増えるからよ」
教科書を読んで勉強だけしていたのでは、大企業に勤めるつまらない人間が出来上がってしまう。 個人は自分の声にしっかり耳を傾けることで完成するんだろう。 そしてこの能力はとても大切な財産だ。
面(おもて)について
面の皮
昨日久しぶりに絵を描いた。目や口がついている部分、これが面(おもて)だ。気づいたんだけど、面ってすっごく薄い。 いつも僕たちは正面から人を見ている。だから”顔”っていうと”面”が浮かぶ。
いろいろな角度から顔を見てみる。するとだいぶ面って薄いんだなぁって思える。また、側頭部と後頭部はだいぶ大きいんだなぁと気づく。
人間の皮膚のうちで面の皮の占める割合なんてほんの僅かだろう。だけど僕たちはそこに非常な重みをおいている。文化っていうのは根本的にフェティッシュなんだ。
ブロガーとしての顔
どんな顔がいいのかな
僕たちはいろんな顔を持っている。僕は5日くらい前にブロガーとしての顔を手にいれた。インターネットでの顔というのは、話し方と話す内容のことだ。普段の一人称は僕じゃないんだけど、ブログを書くときには”僕”がしっくりくる。話す内容はとりあえずプライバシーに関する意見ということにしている。
今日はいつものようにブログを更新しようと思ったんだけど、プライバシーの話ではなくて別の話をしたくなった。それは少しプライベートな話なのでためらった末、今回の記事は「ブログでの顔について」というやっぱりプライバシーの話にしてお茶を濁している。
学校では「インターネットでは個人的なことは書かないように」と教えられてきた。これは「インターネットでの顔はきちんと管理しましょう」という教えだ。現実世界では、僕は顔の管理なんかしていない。僕の顔は、自分と相手の関係のダイナミクスの中で勝手に形成されたものだ。
ところが小さなブログには相手が存在しない。だから自由な顔をすることができる。だからといって変な顔をしないのにはいくつかの理由がある。数は少なくとも見てくれている人がいること、現実世界の自分と誰かに結び付けられたときに気まずくならないようにすること、それから秩序が好きな性格だ。
リセット
ネットゲームでのリセット
中学時代、僕はネットゲームにはまっていた。エンドレスバトルというCGIゲームで、今でもまだそのサイトは残っている。十年くらい前に遊んでいたゲームがまだ運営されているのはうれしいな。
ところで、多くのネットゲームにはリセットがある。これは誰かが強くなりすぎて一人でゲームを支配するのを防ぐためだ。プレイヤーのなかには毎クール上位を確保している層があるが、彼らだって「リセットするな」とは言わない。時間が来たらリセットを受け入れ、新しいクールでも強くなれるように、皆と同じスタートラインから走り始めるのだ。
強くなるためにレベルを上げているのに、リセットをさらっと受け入れる人たち……僕はこの事実に、人間の基本的な欲求が隠れているんじゃないかと思う。それは過去を消し去りたいという欲求だ。
ネットゲームで遊ぶことは、みんなで同じ夢を見ることだ。僕たちは一つの長い栄華の夢を見るより、「いい夢だったな」とつぶやいて、新しい夢をみたいんだ。ネットゲームは僕の実現したい、データが自然に消えていく世界の箱庭なんだ。
忘れてほしい
忘れてほしい
「僕のことを忘れてほしい。」 僕はしばしば強く思う。
人間は時間が経てば忘れる。 しかしハードディスクのデータはいつまでも残る。
僕にはそれが怖い。 これまでの記録や現在の行動が、死んでも一切朽ちずに残るということが。 常に世界中にばらまかれる危険にさらされているという事実が。
すべてのものは朽ちるべきだ。 そして記録は自然なタイミングで散逸されるべきだ。 データを牢屋に閉じ込めておくなんて不自然じゃないか。
自分の子供に、自分の検索データやネット上での行動を残したくない。 今までみんな忘れてきたじゃないか。
僕は死なない情報に押しつぶされてとても苦しいよ。
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