監視と平和
監視と平和はトレードオフか
政府が「テロ対策だ」と言えば、監視の必要性が示されたことになっている。 実際に監視されるのはテロリストたちだけではないが、「公共の福祉のために甘んじて受け入れよ」ということになっている。
平和のために監視は必要なんだろうか。 問題があれば対話により解決するべきだと僕は思う。
彼らがテロを起こすのは監視されているのがわかりきっているからだ。 反体制派からデモや政治活動といった選択肢を取り上げた権力者たちは気づくべきだ。 彼らにはテロしかないのだ。
民主主義とはあらゆる人の意見に耳を貸し、妥協点を探ることだ。 権力層が少数派を徹底的に監視している社会は、民主主義でも平和でもない。
監視では平和はつくれない。 世界中どこにでも目がある社会が平和だと思うだろうか?
権力層が監視を放棄することで初めて平和への道が開かれるのだ。